あるワナ猟師の本を読んで考えたこと

inosisi

生活者としての猟師

京都のワナ猟師、千松信也さんの本を2冊続けて読みました。

DSCF5512

数年前に読んだものを読み直したのですが、その時とはまた違う読み方ができたので感想を書き留めておきます。

本の感想というか、読んで考えたことを。

千松さんは京都のワナ猟師で、猟期にはくくりワナでシカやイノシシを、網でカモや雀などを獲って生活しています。

生活していると言っても猟で生活費を稼いでいるわけではなく、食を得るため、食べるために猟をしている。

自らを自然の中から直接生きる糧を得るために狩猟を行う『生活者としての猟師』だと言います。

僕は千松さんを数年前に知り、ブログやツイッターの投稿などを時々チェックしていました。

豆狸の狩猟・採集生活のススメ

千松さんツイッター

現在も京都の市街地と山の境界付近に住み、運送会社に勤めて現金収入を得ながら冬は猟を、春~秋にかけては山菜やアユなど様々な自然の恵みを得るという生活を続けている。

家の庭では鶏を飼い、残飯などを餌にした庭先養鶏もしているそうです。

不自然な生活

ブログに食事と健康という視点からずっと書いてきて、健全な発育と健康の維持のために栄養充実が大切だと強調してきました。

それはとても大切な、基礎的なこと。

ほぼ誰にでも当てはまる健康上の要点だと考えているのですが、一方で矛盾も感じ続けています。

もっと大切なことがあると思っているから。

それは何かというと、暮らし方、生活のあり方。

臨床でも私生活でも常づね感じていて、でも上手く言語化できないでいることなんですが、千松さんの本に刺激を受けて少しだけ書いてみます。

今現在、鍼灸師として患者さんの回復や健康増進のために働いているのですが、いくらやっても『その場しのぎ』を続けているだけかもしれないと感じることがあります。

それは、やってるほうも受けてる方も健康にはなり得ない不自然な生活をしているから。

だからと言って患者さんに『あなたもっと自然な暮らしをしなさい、山仕事でもしなさい』なんて言えません。

価値観の押し付けになりかねませんし、完全に場違いだからです。

でも、健康を意識したり食事に気を付けるだけでなく『暮らし方レベル』で大きな変化が起こらなければ、永続する健康は望めないんじゃないか。

密かに、そう思い続けているんです。

全てお金で手に入れる世の中

貨幣経済が発達した現在では、それぞれに仕事を持って価値を提供し、その対価(お金)を得て、お金で生活に必要なものを買うというのが普通です。

だからほとんどの人、特に都市生活者は食べるものをお店やスーパーでお金を出して買います。

僕も鶏を飼い始めるまで100%これ、今でも自分で作った食物は消費するうちの半分にもなりません。

べつにそれが悪いわけじゃなく、豊かで便利な世の中なのですが、このような『食べものを全てお金で買う世の中』では必然的に工場で作られたり大量生産されたものを食べることが多くなってしまう。

このことは個人の健康に少なからず影響しています。

生産する側は生産性を高め、できるだけ利益を大きくしなければなりませんが、大規模化するほど生産高率が高まり市場を独占しやすくなります。

農業も食品業界もすべてこの流れの中にありますが、その分、食材が持つ栄養素は失われ、余計なものが添加され、それを食べる人の健康レベルは低下しがちになります。

砂糖や精製糖質の過剰摂取、身体に悪い油の摂取が増えている問題もこの流れの中にある一つの側面にすぎません。

もちろん、このような社会でも探せば質の良いものはありますし、お金があれば良いものだけ選んで買うこともできます。

でも、多くの場合お金を得るために不自然な暮らしを余儀なくされているのが現実ではないでしょうか?

例えば僕だったら、朝から晩まで休みなく鍼灸院で治療すればその分収入は増えるので質の良い食材を買えるようになります。

家族と一緒の時間は少なくなってしまいますが、鍼灸を生業としているプロなら仕方のないこと。

だいたい医師も看護師も医療人はみな忙しく仕事に追われています。

これは医療人として普通のことであり当然とも思えますが、はたして自然な、健康的な暮らしかというと疑問を感じる。

それで肉食ってれば元気になるとか、卵たくさん食べればいいとか言っても、実際問題として有効だとはいえ、なにか本質からずれていると感じるんです。

都市生活者へのサービス

こういう生活、働き方は、都市生活で疲れた人へのサービスとしては成り立ちます。

現に僕は今、それで生計を立てていますし、同じ場所で続けるほどリピーターや紹介が増えてくるので経営が安定してきました。

ただし今の暮らしは専業として鍼灸だけをやり続けることで成り立っています。

来院する患者さんにしても、基本的にはどこかに勤めたり自営をして『お金を得るために』長時間、日常の大半の時間を使って働いている方がほとんど。

多くの場合、そのような生活がそのものが心身の不調を作っています。

このような生活の中では、治療する側もされる側も非常に不自然な暮らしを強いられるので、必然的に健康から遠ざかってしまう。

さらに働けなくなったりお金をうまく稼げなければ、不自然な暮らしの上に栄養価の低いものばかりを食べ続けることになりやすい。

そして栄養欠乏から病気になったり能力が低下するためもっと不利な状態に陥ってしまうでしょう。

もちろん病気になっても鍼灸のような自費診療など受ける余裕はなく、せいぜい保険診療で投薬を中心とした対症療法に終始することになります。

その結果、さらに健康から遠のいてしまう。

都市生活者へのサービスとして鍼灸院をやっていると、毎日の仕事の中でこの構造を感じないことはありません。

かといって、それをどうともできないのですが。

鍼灸で健康上のトラブルを解決することを求めてきている患者さんに、生活そのものを変えろとまではなかなか言えませんし。

お金、経済、仕事、生活、健康、これらはすべて重く深く、繋がっている。

ただし『生活の糧としての食を得る』ということに限れば、この呪縛から離れることもできそうです。

自然から直接調達する

実は、健康を支える新鮮で良質な食べ物は、お金が無くても手に入れることができます。

自然に近いところ、例えば山、海、川、畑などから直接、自分で調達すればいい。

農村部はもちろん、都市周辺でもあまり利用されていない資源が多く、全体としては余っているはずです。

具体的には家庭菜園のほか、庭先養鶏、狩猟、漁、潮干狩り、山菜取りやキノコ採りなんかをすればいい。

千松さんのように。

このような生活タイルはおそらく、今後も大人気とははならないと思います。

やるとなるとけっこう大変ですし、自分自身が楽しめないと無理でしょうから。

それに技術の習得、手間や労力が必要になり、生活の一部ともなれば多かれ少なかれ都市生活から離れる必要がある。

自分や家族の健康のためとはいえ、そこまで生活を変えるのは不可能かもしれません。

だからこそ競争も少ないので、本気になればおそらく誰でも手に入れることができる生活だと思います。

人によっては経済競争の中で勝ち抜いて沢山のお金を稼いだり、競争の下位で貧しく忙しい暮らしに耐え忍ぶよりずっと楽で現実的なのではないか。

自分で食を得るために山を歩き畑で働けば、ジムに通って「トレーニング」などしなくても自然と体が鍛えられます。

同時に、日光、雨、風にさらされ、土に触れることで自己免疫力は自ずと高まる。

身体は、このような自然界の刺激に反応して強くなるようにできているからです。

子供と一緒にやれば遊びながら体を鍛え、成長を促し、家族のきずなを深め、自然に親しむことができる。

もちろん新鮮で良質な食材が、素材のままに手に入る。

このように競争社会で優位に立ち収益性の高いビジネスを行って経済的に豊かになるような道の他にも、健康と幸せを手に入れるすべは存在していると思う。

この考えは、極端なものでしょうか?

もしかしたらそうでもなく、選ぶ人が少ないだけ。

とても現実的で魅力的な選択肢なんじゃないかと、千松さんの本を読んで思いました。

そして、その術と場所は意外と誰にも使われず、そのへんに転がっています。

おそらく今後日本の人口は劇的に減っていきます。

政府の予測では100年後の日本人口は今の1/3程度になるとされている。

内閣府 日本の将来推計人口

これは、明治初期と同じくらいの人口です。

その分都市は縮小し、農村、漁村、山村をになう人は今よりさらに少なくなる。

見方を変えれば、自給的な生活をする場所はいくらでもある状況になろうとしています。

生活者としての養鶏家

3年ほど前から藤沢市郊外の畑の一角を借り、広めの家庭菜園と養鶏を続けてきました。

一時、鶏をもっと増やして卵を売れるようになりたいという妄想(?)に取りつかれていましたが、今は淡々と、生活の中に溶け込むような養鶏をしていきたいと考えています。

もしかしたら販売そのものはいづれやるかもしれませんが、規模は極小になるとおもいます。

生活のために作った余剰分を縁ある人におすそ分けするような。

そもそも『断糖肉食』のような食事スタイルを始めるときに、同時に食の生産に問題意識というか、疑問や興味を持ちました。

生産者側の視点や体験が欲しくて、何故かそうでないと後ろめたくて、いろいろ無駄とも思えることをやってきた。

鍼灸院の経営者としては鍼灸や医療、医学一本に絞ったほうが(職業上・経営上)いいに決まってます。

それが毎朝早起きして鶏の世話・・何やってんだろうと。

この3年間ずいぶん迷ったり、無駄な時間を費やしているという後ろめたさを感じていたのですが、それでもやめることができなかった。

やはり日々直面する現実(臨床)のなかで僕が感じていることと、深いつながりがあると思えたからなんです。

患者さんと相対する臨床では、いかにしてその患者さんの生活の質を高めるか、自分に何ができるかを考えています。

ですから、その方ができること、できないことをふまえた上で、少しでも楽になるよう、元気になるようにと治療をし食事や生活のアドバイスもしている。

でも、根本的にはどうか。

生活がそのままで変わるのだろうか?

ご本人の人生ですし、働き方や生活様式にまでは口出ししませんが。

ただ、そういう体験を積み重ねるほど自分の人生は影響を受けざるを得ない。

子供が幼いことも影響していると思います。

千松さんは『生活者としての猟師』と書いていましたが、僕は『生活者としての養鶏家』をできるかぎり続けたい。

できれば鍼灸師のスキルや経験も生活の中に溶け込むような生かし方をしたいと思っています。

最近、千松さんの2冊の本を読み返して、そんなことを考えました。

参考図書

ぼくは猟師になった 千松信也 著

けもの道の歩き方 千松信也 著