精進料理の目的
禅宗の修行僧の食事が理想的な健康食だという話がありますね。
あるいは、お寺のお坊さんが背筋もよく長寿だから、粗食がいいんだと。
でも、修行僧の食事は心身の「極限」を体験することが目的であり、健康増進を目的としたものではなさそう。
それについて、知り合いのお坊さんから聞いた話をご紹介します。
おかゆと梅干
だいぶ前ですが、禅宗のお坊さんから修行中の食生活について伺いました。
そのお坊さんは、山奥の僧房で数年にわたる厳しい修行を経験した人でした。
禅宗の僧房では修行中にどんなものを食べているのか、興味をもって聞いてみたところ、その内容はかなり極端な糖質過多の食事でした。
糖質過多というか、、おかゆと梅干だけ、、というのが基本的なメニューなんだそうです。
普段は、本当にそれだけしか食べない。
これは宗派や僧房にもよって違うんだろうと思いますが、しばらくこの生活をしていると、だんだん何も考えられなくなってくると話していました。
(でも不思議と、数か月経過すると意識がクリアになってくるそうです)
ただし、何年も「おかゆと梅干だけ」で過ごすわけじゃありません。
食べるときは、たくさん食べるんです。
お布施は残さず食べる
月に数回、檀家さんから「お布施」として料理をふるまわれる日があって、その日はとにかく、大量に食べる。
日頃、ある意味飢餓状態にあるので、自分でもびっくりする位の量を食べてしまうそうです。
「修行生活を続けているとだんだん身体がおかしくなってきて、いくらでも食べられるようになる」
このように話していました。
しかも、出されたものは一切残さずに食べなければいけない決まりがあるので、満腹で、もう食べたくなくても必死に詰め込むんだとか。
これは食べ物を無駄にしないと言う意味だけでなく「心身の限界」を体験する修行の一環になっているとのこと。
そんな生活を数年続けると、例えば牛丼10杯とか、そのくらいの量を平気で食べれる身体になってしまうそうです。
これって、、過食症と言ってもいい状態ですね。
そのような生活を一定期間続ければ、もちろん、身体を壊してしまうと思います。
でも、山を下りて普通の生活に戻ると、だんだん正常な状態に戻ってくるとおっしゃっていました。
おそらく、修行目的の厳しい心構えをもっているので、病的な「負のスパイラル」に落ち入ることを防いでいるのだと思います。
修行食で脚気に
以前どこかで「修行を終えたお坊さんに脚気が発生する」という話を聞きましたが、それはそうでしょう。
脚気はビタミンB1の欠乏症で、重症化すると神経障害が現れ死ぬこともあります。
脚気は戦前までの日本で非常に多い病気でしたが、その原因は精白した米、つまり白米に偏った食生活でした。
精白してしまうと糠(ぬか)に含まれるビタミンB1を摂取できないので、欠乏症になってしまったんですね。
ビタミンB1は穀物の糠以外だと動物性食品にも多く含まれています。
ですから、肉などの動物性食品を十分に食べていれば防ぐことができます。
逆に、菜食で精白した穀物中心の食生活を続けているとビタミンB1欠乏になりやすい。
毎日おかゆと梅干では、けっこう危ない状態になりそうです。
お話ししたお坊さんは脚気になっていませんでしたが、月に何度かのお布施が効いていたのかもしれません。
宗派によっても異なるようですが、仏教では基本的に殺生を禁じています。
それで、日本にも肉食禁忌の思想がありました。(植物も生きてますけどね)
修行目的の食事の是非を言うつもりはありませんし、精神的な修行のために、何か理由があってそうしているのだと思います。
それに、ここに紹介した話はちょっと極端な例かもしれません。
ただ、お坊さんの食事を健康面で参考にすることには、少し無理を感じます。
時々「お寺の坊さんは長寿で元気だから、肉なんて必要ない!!」っていうご意見をいただきます。(動物性のものが大事だよって、書いてるから)
実際は、多分食べてるし、ストイックな修行で身体を壊している人も少なからずいるようなんですけど、、。
そもそも、お坊さんの生活は妊娠出産や子育てを前提としてませから、一般人にとって、健康面での参考にはならないでしょう。
「極限状態でどこまで耐えられるか、、」を知るためには、役立ちそうですけどね。